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2011年2月19日 (土)

『死刑裁判~ある検事と死刑囚の44年~』@ETV特集

『ETV特集・死刑裁判~ある検事と死刑囚の44年~』
(昨年5月に入った番組の再放送 1時間半)



偶然、チャンネルを変えたら入ってた番組。
何故か引き込まれて、結局、最後まで見てしまった。



内容

これまで土本検事が司法の現場で向き合ってきた「死刑」の現実について、土本さん自身が(75歳)が体験した出来事を再検証し、死刑に関する思索を深める。



番組で取り上げた事件は、土本さんが検事になりたての、八王子支部にいた時に起こった、44年前の強盗殺人事件。



若い男が家に押入り、主婦を刃物で刺した後、現金と宝石を盗んで逃走。犯人はすぐ捕まり、『捜査検事』として土本検事が聴取・起訴し、求刑は『死刑』。公判は『公判検事』に引き継ぎ、最高裁で『死刑判決』が確定した。



普通なら、きっとここで話は終わる。



しかし、しばらくすると、検事の元に死刑囚から手紙が届く。恨み辛みが書いてあると思いきや、その手紙には検事に対するお礼が綴られていた。



ここから、検事と死刑囚との奇妙な文通が始まってく。



私が生まれる前の話なので中身は全く知らないんだけど、手紙を見る限り、残忍な犯行をするような感じには思えなかった。土本検事も、文通をやりとりするの中で疑問を抱くようになる。



この事件が、今の時代に起きて裁かれていたとしたら、多分、“極刑”っていうふうには、ならなかったかもしれない…。



土本検事は、この裁判の一部始終を調べ始めていく中で、いくつかの不運が重なっていたことを知る。



【いくつかの不運】
◇当時は、扱う事件の数に比べて検事の人員が全然足りていなかったため、きちんと対応してもらえなかった。



◇死刑囚の一審についた国選弁護人は、きちんと正当に弁護をしていなかった。



◇二審以降についた国選弁護人は、私選弁護人に自ら変更し親身になってくれたが、一審の死刑判決は覆らなかった。



◇最高裁で初めて、死刑囚が『殺意があったわけじゃない』と上告趣意書を23枚も書いて訴えたが、最高裁ではすでに遅かった。もし、このことを一審の段階で言っていたら…判決は違うものになったかもしれない・・・など。



検事は、不運な出来事、刑務所での生活、いくつかの文通のやりとりを通して、死刑囚は十分に更正ができたと判断。



「この人を、仮に今、社会に戻したら、戻せば、重大な凶悪事件を犯す?それは一点だにも無い!こういう人間を刑場にひきつれなければならないのか?!」



そして、死刑執行を停止してほしいと「個別恩赦」を上司に相談。しかし、答えはノーだった。



土本検事宛の最後の手紙は、昭和46年11月8日。翌9日 午前、死刑執行。





見ていて、自然と涙が溢れた(ノ_-。)

死刑囚から届いた9通の手紙、検事の苦悩、弁護人の後悔。

そして死刑囚の更生ぶりに“本当に死刑で良かったのか?”と悩み苦しんだ人々…。

人が人を裁く難しさっていうか、死刑にしなくても、人は更生できると考えさせられた。





でも、誰が見ても、更正したと分かっても、被害者側からしたら、絶対に許せないという感情があるのも事実。 





死刑になることで、区切り、心が解放されると思う人もいる。

生きてこそ償い、と思う人もいる。

死刑反対を唱えていても、事件に巻き込まれたら変わることもあるだろうし

巻き込まれても、許せる人がいることもある。





「死刑制度」、「裁判員制度」 本当に難しい。


詳しく知りたい方は、コチラ↓

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これは裁判員制度の問題ではない。日本の司法システムに正義はあるか、の問題である

「死刑裁判」の現場 土本武司氏のためらい

死刑裁判”ある検事と死刑囚の44年を見て・・・

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